2018.9.5
「地球環境科学と私」第四回は地球環境変動論講座 藤田耕史教授による「ヒマラヤノススメ」です.
高校の山岳部で主に南アルプスを歩き倒したあと、冬山と海外の山を登りたかった私は京都大学山岳部へ入部しました。当時絶頂を迎えていたバブル景気や新興カルト宗教団体などには脇目もふらず山に入り浸り、念願叶って3回生の春に西チベットの山へ、4回生の春には休学してヒマラヤの山へ、海外遠征に参加することができました。3回生の遠征は、復路の北京で天安門前広場を埋め尽くす戦車部隊を目撃するというおまけ付きでした。
この遠征の際に、氷河のダイナミックな風景に心を奪われ(写真1)、「世界の山に通って喰っていけないだろうか?」という、研究者としてはいささか不純な動機に基づいて進学先を調べ、名古屋大学の水圏科学研究所(当時)に理学研究科の大学院生として所属することになり、今に至ります。
「山で喰っていく」といっても山岳ガイドではありませんから、付加価値をつけるための研究をしなければなりませんが、案外「初登頂をしたい!初完登をしたい!」という山屋的欲望と、「初の発見者になりたい!」という研究者的欲望は似ているのではないかと思っています。それに、地球上の未踏峰は確実に減っていくし、未踏のルートはどんどん難しくなる一方で、研究は目の付け所次第でやることはいくらでもあるのがいいところ。
最近立ち上げたネパールヒマラヤでの観測は、毎年6千mの高所へ通うため、約1ヶ月半の観測の終わり間際は「も~二度と来ね~」とぼやいてしまうくらいシンドイのですが、帰国して2~3回会議に出ていると「あぁ早よ(ヒマラヤに)帰りたい、、」と次回の観測を夢想せずにはいられないほど麻薬的効果が高いフィールドです(写真2)。この低酸素中毒ともとれる症状に、新たな発見やアイデアに出会った時の「頭の芯がしびれるような感覚」と論文が出た時の感動を味わってしまうと、もう後戻りは不可能です。