2019.4.12
「地球環境科学と私」第十回は大気水圏科学講座教授 中塚武さんによる「歴史」を巡る長い旅路の果てに です.
今から37年前に私が大学の理学部に入学したときには、宇宙や生物などやりたいテーマがたくさんあって進路を決めかねていました。しかしその中でも歴史に興味があり、宇宙の起源や生命の進化など、新しいものが生まれてくるプロセス一般を理解したいと思っていました。さらに文学部に転部し、社会構造がどんどん変化する過程、つまり人間の歴史を研究しようと思っていた時期もありました。
結局、あれこれ悩んだ末に、理学部の地質学教室で地球の歴史を研究することにしたのですが、その理由は、第一に、理学部の方が自由な雰囲気があると思ったことと、第二に、将来両方の研究をするのであれば、人間の歴史は独学でも勉強できるけど、地球の歴史は最先端の機器など使わないと研究できないと思ったからです。まずは理学部で地球の歴史を研究して、将来機会があったら人間と地球の歴史の両方を研究できると良いな、と思っていました。
その思い込みは必ずしも正しくはなかった(文学部の勉強も独学でできることは限られていますし、理学部の研究も最先端機器を使わなくてもできることはたくさんある)のですが、結果的に今から6年前、50歳になって念願がかないました。古気候学という理学部の研究と歴史学と考古学という文学部の研究を統合して気候変動に対する人間社会の歴史的応答を網羅的に研究する、5年間の大型プロジェクト『高分解能古気候学と歴史・考古学の連携による気候変動に強い社会システムの探索』を、京都の総合地球環境学研究所で立ち上げる機会に恵まれたのです。その中で、思う存分、人間の歴史と地球の歴史の両方を研究できる幸せな体験をすることができました。
プロジェクトが立ち上がった背景には、理系の最先端研究で生まれた樹木年輪の酸素同位体比の測定技術(写真)が、大量の高時間分解能の気候変動データを生み出し、それが文系の文献史学や考古学の研究者に興味を持って受け入れられたということがあります。文学部に行っていたら、文献史学や考古学は伝統的な手法に基づく学問なので、最先端の研究で理系の人間を振り向かせることはできなかったと思いますから、人間と地球の両方の歴史に興味があるのであれば、理系の研究室で研究を始めたのは正解だったと思います。
このように「文理双方の研究を、最先端のレベルで組み合わせて、歴史を研究する」というアプローチは、世界でもほとんど類例が無いので、プロジェクトでは、明らかに世界初と言えるようなさまざまな新しい発見がありました。例えば、日本の中世に起きた大飢饉は悉く、数十年間の温暖期の直後に気温が急落するタイミングでおきています(図)。こうした知見は、現在進行中の地球温暖化を含めた気候や環境の変化に対して、人間社会がいかに適応できるかと言う意味で、多くの示唆に富んでいます。その成果は日本語や英語の書籍として取りまとめ中で、近日中に刊行される予定です。是非、読んでもらえたらと思います。
しかし文理融合の歴史研究プロジェクトを立ち上げるまでの30年間の歩みは、もちろん平坦なものでは有りませんでした。学部では最初古生物学を志したものの、地味な研究手法が性に合わず、大学院では化学化石、即ち有機地球化学の研究に転向し、その後は地球環境研究が世の注目を集める中で、物質循環や環境変動の研究で職を得て、歴史とは一見関係のない様々な海や陸でのフィールドワークを続けてきました。私が人間の歴史に興味を持っていることなど、周囲の仲間は誰も知らなかったと思います。
そうした中でも、ある意味で初志貫徹できたのには、第一に、常に周囲の人々の期待を裏切らず、研究者として生き残れるように努めたこと、第二に、初志を忘れず、あらゆる歴史的なことに興味を持ち続けたこと、第三に、名古屋大学を始めとした、文理融合の地球環境研究の機運にうまく乗れたこと、などがあると思います。運が良かったのは間違いありませんが、「チャンスを掴む」という名古屋大学の精神が功を奏したのかもしれません。
ところで理学部と文学部の研究には、「実学ではない」という共通の特徴がありますが、理学部における地球史の研究が「法則性」を重視するのに対して、文学部における人間史の研究は「多様性」を重視します。結果的に、歴史学者同士が、時代や国を越えて交流することは殆ど有りません。こうした状況を見て最初私は、「理系の立場から、文系の統一を促す」と言うような大それたことを考えていたのですが、5年間のプロジェクトを経て、それは少し違うことに気がつきました。「何が違うのか」一言では語り尽くせませんが、歴史を巡る長い旅路を経て、文系の学問も理系の学問も人類の未来にとって不可欠な洞察に満ちていることに、改めて気がついた今日この頃です。その意味を、いつか機会があったら皆さんと語り合いたいと思っています。