2021.1.29
「地球環境科学と私」第二十五回は地球惑星ダイナミクス講座 山中 佳子さんによる 勝負はこれから です.
私が学生の頃、研究室のお茶部屋と呼ばれていた部屋に、歴史地震研究の大家である宇佐美龍夫先生が週に1度水曜日に来られ、歴史地震史料の整理をしていられました。当時我々学生の間では、歴史地震研究は定年後にやる仕事というイメージだったので全く興味を示すことなく、「今日はお茶部屋に入れないからお茶が飲めないなあ」といった感じで、その部屋の本棚にいっぱい立っていた製本された史料のコピーすら手に取ったのは数えるほどでした。
皆さん、古文書は見たことがあるでしょうか? 写真は名古屋大学図書館所蔵の高木家文書のある1ページです。古文書はこのようなくずし字で書かれていて、読むことすら私にはできなかったので興味がもてなかったのかもしれません。(このページには『大地震』という文字が含まれています。見つけられましたか?)
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生しました。当時私は地震波形記録を用いて東北地方のプレート境界型巨大地震の震源過程を研究していました。1900年代に東北地方の沖合で発生したM7以上の地震の震源過程を片っ端から解析し、地震時に大きなエネルギーを放出する領域(アスペリティ)がプレート境界上にどのように分布しているのかを調べていました。東北地方は津波地震こそ100年に1度くらいしか起こらないですが、M7クラスの地震は数十年間隔で発生しているので、約100年分の地震観測記録の中には複数の地震記録が含まれているわけです。解析の結果から、この100年間に同じアスペリティが繰り返しすべって地震を起こしていたこと、そのサイズは東北沖ではM7クラスであること、ただし複数のアスペリティが連動すると大きな規模の地震が発生する可能性があることを提唱していました。まさにそんな地震が起こってしまったわけです。緊急地震情報を見た瞬間、「やばい!起きてしまった!多くの人が死んでしまう!」と叫んでしまいました。「東北の人達、どうか逃げて」と祈りながらも何もできない自分が歯がゆかったあの時の思いが忘れられません。私にとって今回の地震は決して想定外ではなく、恐れていたものが起きてしまったという感覚でした。
次に巨大地震が起こるとしたら南海トラフでしょう。南海トラフ地震は100年程度の間隔で発生しています。最近起こったのは昭和に発生した地震ですが、その1つ前はもう江戸時代です。つまり昭和の地震以外科学的データはないのです。南海トラフ巨大地震の振舞を理解するためにはどうしても江戸時代以前の地震を理解しなければなりません。というわけで、学生時代全然興味を持っていなかった歴史地震に足を踏み入れることを決めました。先人によってたくさんの史料が収集され、震度分布や津波高分布などが作られていますが、それだけでは南海トラフ巨大地震の振舞を理解することはできません。世の中にはまだまだ多くの史料が眠っています。こういった新しい史料を発掘しつつ、これまでに収集された日記などの史料を現代の地球科学データ風に焼き直しながらどこまで科学的知見を抽出することができるか、勝負はこれからです。
「(前略)(安政元年十一月)五日申の下刻、果して、地震はじまり、初はゆるやかに震ひたるが、次第に強くなりて、われいちと外面に逃げ出したるに、劇しくなりて、瞬時に壁を倒し、屋宇を覆し、或は居ながらにして家におされて死ぬるもあり、(中略)我直ちに長泉寺の後の山に上り、南を見るに、潮は既に田ノ口の堤をのり越え、田丁へだぶだぶと進み来る。黄昏頃に至りて二番三番と追々と進み来り、就中四番の潮尤も猛大にして、直ちに家屋を漂流し、幾かたまりとなく眼下になうなうと流れ来る。」(高知県大方町史H6)
これは安政南海地震について書かれた『桑滄談』の一節です。皆さんの脳裏にあの東北地方太平洋沖地震の津波の映像が浮かんでいませんか?まさに東北地方太平洋沖地震で我々がみた光景と同じような光景が広がっていたに違いありません。 このような昔の人達が残してくれた情報を頼りに、次の南海トラフが起こるまでには南海トラフ地震の振舞を解明したいと思っています。